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第3回 東京・亀戸天神社の「くず餅」 - 参拝後のお楽しみ「諸国味詣で」

参拝後のお楽しみ「諸国味詣で」 / 平成26年05月26日 第3回 東京・亀戸天神社の「くず餅」

くず餅
くず餅
船橋屋
船橋屋

 

江戸時代、天神様の末裔・菅原大鳥居信祐公が太宰府の飛梅の枝で刻んだ天神像を背負い、お告げのままに天神信仰を広め諸国を巡り、江戸・本所亀戸村の小祠に御神像をお祀りしたのが東京・江東区の亀戸天神社のはじまり。

創建当時に植えられたといわれ、「亀戸の五尺藤」「亀戸の藤浪」と、そのみごとさが褒め称へられる藤や、梅の頃に多くの参拝者で賑わう亀戸天神社で人気を呼ぶのが「船橋屋」のくず餅(一人前530円)。「船橋屋」初代勘助の出身地・下総国(千葉県北部)船橋産の良質の小麦澱粉を湯で練り、せいろで蒸し、特製の黒蜜ときな粉をかけたこの餅は、いつしか「久壽(くず)餅」と名づけられ、江戸名物の一つに数へられ今に至る。

(松本 滋)

亀戸天神社
亀戸天神社

亀戸天神社

菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。
古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。
正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神 の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。
当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました。
(亀戸天神社HPより)

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